【インタビュー】 濱崎俊秀(広島のビリヤード場オーナー)

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『新しい人が訪れて、リピーターになるビリヤード場』

~Hammer 広島胡町電停前店を訪ねて~

 

2016年4月8日。広島市内にオープンしたビリヤード場『Hammer広島胡町電停前店』は、繁華街の表通り、”路面電車の駅前一等地のビル7階”という、地方では極めて珍しい立地にある。
(胡町は中国地方でもっとも家賃が高いエリアだという情報も・・・)
そして開店から3ヶ月を待たずに、すでに6台設置されたテーブルが満台になることも珍しくない繁盛ぶりだと聞く。
このお店を経営し、自ら現場を切り盛りしているのは、濱崎俊秀氏。通称、ハマーさん。台湾や中国から発信したブログなどで周知の方も多いだろうが、『Hammer』は中国で同氏が2店舗展開しているので広島が3店舗目となる。
ビリヤード強国を渡り歩いたハマーさんが、なぜ今日本でビリヤード場をオープンしたのか? ハマーさんとは、一体何者なのか? 同店を訪ねて、お話をうかがった。その一部をここに。

 

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ビリヤード市場を開拓

――素敵なお店ですね。
濱崎(以下、濱) ありがとうございます。まだまだ内装などは触る予定ですが、おかげさまでお客様は順調に来ていただいている状況です。
――ビリヤード場が全体に苦戦している中、なぜ開店間もないお店がここまで流行るのでしょう?
濱 自分で言うのはおこがましいですが、良いスタートを切れたと思います。お客様の多くは「初めて」もしくは「久しぶりに」という方で、客層は他店と競合していません。私自身がビリヤードの魅力に惹かれ競技として深く関わりましたが、今必要なのは「パイを広げること」、つまり「入り口を広げること」だと考えて動いています。
――表(ビルの1階)にも大きな看板を置かれていますね。
濱 まずは知ってもらわないといけませんので。そして市電の中や情報誌などに広告を出しています。これはお店の宣伝もそうですが、『ビリヤード』そのものもPRしたいという思いで。そしてオープン早々にテレビの取材をしていただいたり、恵まれた環境にあると感謝しています。
――雰囲気がよくて競技者でない方にとって立ち寄りやすいお店。しかしプレイヤーと異なり来店頻度が少ないのでは?
濱 それが意外とリピーターの方が多いんです。そしてレッスンも行っていますが、すでに受講生が18人になりました。1クール8回で、2クール目を申し込まれた方にはキューをプレゼントしています。すると女性の方などは、一度家に持ち帰ってキューを組み立てて素振りをしたり、写真を撮ったりされますね(笑)。その後は、お店に保管されますけど。
――アルコール類も提供されていますね。
濱 特にビールはこだわって美味しいものを種類豊富に用意しています。そして場所柄もあって、8人とか10人とかの団体様が来られることもあり、そういう時は冷蔵庫が空になって冷やすのが追いつかずに冷えたものを酒屋さんに頼む場合もあります。
――何とも商売として理想的な話ですが、家賃の負担が大きいのでは?
濱 それがかなり安く借りることが出来たんです。これは本当に助かっています。

 

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ギタリストから会社員、そしてビリヤード

――ハマーさんの経歴をお伺いしてもいいでしょうか?
濱 私は大阪の住吉区で生まれ育ちました。そして17歳の時にメタリカに出会って、CDを聴いた翌日にギターを買いに行きました(笑)。大学時代にバンド活動をしていたのですが、レコード会社から声をかけてもらって3年生の時にデビュー。結局、28歳までミュージシャンとして生計を立てていました。まわりが就職活動をする中、私だけ腰まで伸ばした長髪姿でしたね(笑)。でも一応、卒業はしました。
――音楽とビリヤード。いいですね。
濱 いや、ビリヤードとの出会いは33歳の時でした。28歳で普通の会社に就職をして、今考えても私なんかが行けるような会社でなかったのですが、一芸に秀でた者を採用する、的な枠があったということで奇跡的に入社することができたんです。一部上場の業界世界シェア1位という素晴らしい会社でした。
――そのサラリーマン時代にビリヤードと出会ったのですね?
濱 ちょうど転勤で宮城県にいた時で、釣りに行く予定だったのが大雨で中止になり、友達が「ボウリングかビリヤードに行こう」と。それで行ったのが『フナキ』(JPBF船木耕司プロ所属)で、「初めてなんですけど教えてもらえますか?」と言ったら懇切丁寧に教えて下さって。翌日から毎日通って、1週間後にはMUSASHIを注文していました(笑)。
――すぐにハマったのですね?
濱 はい、迷わずに。その要素のひとつに“サウンド”があったと思います。キューを握らずに手球を捉えた時の音、ポケットした時の音、そして(レシーブボックスに)落ちてくる音。その点では音楽と通じていたのかもしれません。
――競技街道まっしぐらですね。
濱 当時のビリヤードマガジンとかキューズを読んで勉強して、フィリピンと台湾が強いということを知り、動画も探してよく研究しました。そして台湾に3回ほど行きました。キャリア2年でA級になったのですが、ジャパンオープンでエフレン・レイズと対戦もして、5月だったかにアマナインにも出場して、そして8月に台湾に渡りました。
――会社を辞めて、ということですか?
濱 そうなんです。仕事の引き継ぎが終わってすぐに。マンションも引き払って、スーツケースとリュック、そしてキューケースを持って台湾の空港に降り立ちました。そこから過去3回の渡台で友達になっていたワン・ホンシャン(王泓翔)に電話をかけて「今、空港にいるんだけど、どうしたらいい?」って(笑)。私が中国語を話せなかったのでお互いカタコトの英語で。あ、実家にも空港から電話をかけて「会社を辞めた。台湾でビリヤードの勉強をする」と伝えました。父親がかなり厳しい人で、音楽の道を選んだ時点で勘当されていたような家庭なので、就職を機に復縁しましたが、絶対に認められることはないから、それしか方法がなかったんです。

 

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台湾、そして中国へ

――ドラマか映画ですね(笑)。
濱 王に「とにかく、タクシーに乗れ」と言われて、タクシーに乗り、運転手さんに電話を代わってもらって彼の自宅へ行きました。そして1週間ほど彼が両親と一緒に住んでいる家で世話になって、「このままじゃいけない」と住むところを探して。そして王が「まずは中国語を話せるようにならないと」って、台北にある師範大学に連れて行って事情を伝えて交渉をしてくれて、私は台湾の学生になりました。
――台湾での活躍はブログで拝見していました。
濱 ちょうどブログを始めたのがその時で。「せっかくだから記録を残しておこう」と。それから台湾のプロツアーにも全て出場して、つまり台湾の主なビリヤード場にはすべて行きました。でも、私がいた2年半くらいの間に、3400軒くらいあったビリヤード場が約半分まで減りました。本当は台湾でビリヤード場をしたかったのですが、そんな状況でもう市場がなかったので、言葉も話せるようになったから中国でやってみようと。
――行動力にただただ感服です。
濱 上海、蘇州、北京、南京など内陸部も含め10を超える都市をまわって、深セン(土ヘンに川)に決めました。香港の北に位置する経済的にも発展した街です。気候的にも温暖で、台湾からもそう遠くないという点も理由にありました。実はその前に重慶で物件を決めかけていましたが、騙される直前でギリギリセーフでした(笑)。
――そして2店目も出して、とても繁盛されている様子でした。
濱 はい、おかげさまで常連客が多くつきました。私は中国で台湾の有名コーチである陳修聡氏に師事して、彼からノウハウを教わり、「日本人の弟子は君1人だから、君がこのノウハウで次の人を育てなさい」という言葉をいただきました。向こうでのレッスン生は250人に及び、わからない事があれば、その都度、師にSNSや電話を使って尋ねて確認をしてきました。今でもわからないことがあれば教わります。

 

異なる国で同じ流れを見る

――ハマーさんがそれぞれ肌で感じた3つの国。どのように違いますか?
濱 うーん、同じ国の中でも地域やお店ごとの違いもありますから、一概に定義するのは難しいところがありますねえ。
――では細かい質問をさせてください。日本では600円くらいが主流のゲーム代。台湾や中国ではいかがでしょう?
濱 ざっくりとした感じで、日本円に換算して台湾が500円、中国が700円くらいです。こうして見ると、中国は高いですね。でも私のお店(中国・深セン)では3段階の料金設定にしていて、一番高いVIPコースは1200円でした。メンツを重んじる文化なので、会社の部下などを連れて行く時などに、こうしたコースもニーズがあるんです。
――なるほどです。では女性客の比率はいかがでしょう?
濱 中国、台湾ともに女性客の比率は非常に少なく5%程度だと思われます。女性客をどう増やしていくかが、今後の両国のビリヤード業界発展のキーポイントのひとつだと見ています。
――小学生や中学生といった若者はプレーしていますか?
濱 台湾では放課後の遊び場としてビリヤードが定着しています。中国では稀に親が子供を選手として育てるケースがあります。若い選手が国際試合で活躍したりしているのは、こうした例が当てはまります。でも、あくまでレアケースです。そして高校生になると遊び場の1つとして球を撞いていることも少なくありません。時間帯はやはり放課後から晩御飯時までの間ですね。
――コーチに教わる。これはどちらの国でも定着していますか?
濱 台湾の有名選手たちは、ほぼコーチに教わっています。効率も悪いので「自力で」という選手はほとんどいないと思われます。中国の場合は現在発展中ということもあり、自力で長年撞いて覚えてきた層と、コーチにガッチリ教わってきた選手とが入り混じる状況です。
――現地で見たキュー事情を教えてください。
濱 有名選手以外は中国産のコピー品がメインで、価格帯では3万円前後が主流だと思います。そして有名選手だけが、プレデターやメッヅ、サウスウエストといったブランド品を使用しているという感じです。
――ポケット、キャロム、スヌーカー、チャイニーズエイトなどテーブルの構成比率はいかがでしょう?
濱 台湾は9割5分以上がポケットで、残りが「その他のテーブル」というところです。中国は地区により大きく異なります。例えば上海だとポケットがメイン、南方はスヌーカーが主流。そして田舎へ行くとチャイニーズエイトばかりだったり。中国大陸全体で考えた場合、あくまでイメージですが、ポケット2割、スヌーカー4割、チャイニーズエイト4割、くらいだと思います。キャロムはおそらく皆無、に近いです。
――他に何か気づいた点などありましたら是非教えてください。
濱 ちょうど日本のブーム、台湾のブーム、中国のブームがおよそ10年~20年遅れで起こりました。そしてブームの去りゆく姿も同じで、台湾では厳しい状況からの立ち直りに動いています。これは中国に同じ状況がこの先に訪れる可能性も高く、早い対策の必要性に迫られていると感じるところです。
――なるほど、文化も言葉も異なるけれど、盛衰は似た道を歩んでいるのですね。

 

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中国という国に住んでみて

――中国で様々な経験をされたハマーさん。印象的なところを教えてください。
濱 まず日本とは文化も感覚も違いますから、こちらが驚くことでも、相手に悪意はない場合もあります。そんな点をご承知ください。そして私が向こうに住んで感じたのは、日本人は甘く、曖昧で、そしてお人好し過ぎるということです。
――本当に痛感されたことと思います(笑)。ビリヤード場ではいかがでしょう?
濱 現地の状況を説明するのに、私の1号店が1年経った時に、全台に大きく張り出した禁止事項を並べますね。
(1)くわえタバコプレイの完全禁止
(2)ツバ吐きやタン吐きの完全禁止
(3)ビリヤードテーブル上へドリンク(や食べ物)を置くのを完全禁止
(4)テーブルの上に乗っかる(座る)のを完全禁止
(5)ブレイクの際はブレイクマット使用
(6)素人の方の無理なマッセ完全禁止
これを再三注意しても守っていただけない方のプレーはお断りします、という決め事です。
――ごく普通のことに感じます。
濱 日本だとそうでしょう? でも、ずっと繰り返し「お願い」をしてきても、なくならなかったんです。オレンジジュースをラシャにこぼすなどは序の口で、タバコの火を落としてラシャから煙が上がったこともあります。煙が上がるテーブルでプレー続行っていうのもありました。あとはムチャクチャな力で撞いて、球が屋外(道路)まで転がり傷ついて買い直したとか。同じような状況でラシャに穴が開いたこともあります。ただ、中国人が全員そんなことをする訳ではなく、先の禁止事項についても「よく決断してくれた」と喜んでくれたり、私のルールに賛同してくれる人が半数を上回ってくれたから実現できたことでもあります。反対に「二度と来るか」と帰った人も少なくありませんでしたが(笑)。
――お店の契約でも大変だったと聞きました。
濱 どの話でしょうね(笑)。ブログにも書きましたが、1号店出店の2年後に2号店を出す時に、契約書にサインをして契約金を払ってから、物件の状態が家主の説明と違うことがわかりました。そして予定していた工事に危険がともなうため中止せざるを得ない状況に。でも、それで家主を責めても中国では通用しません。結局、敷金と先払いの家賃、そして内装費は水の泡に。慣れたつもりでいましたが、まだまだ甘かったということですね。結局、次に決めたテナントでも数多くのアクシデントがありましたが、何とかオープンさせることができました。
――文化の違い。その言葉では片付けられないご苦労だったことでしょう。
濱 ははは。でも良い面も見てきました。例えば、基本的にレベルに関係なく、ビリヤードを楽しむ空気があります。私も「せっかく時間とお金を使うのだから楽しまなきゃ損」だと思います。中国の方は、そこが先立つのでしょう。まわりの人にぶつかろうが、子供や子犬が店内に走っていようがシュートしていきます。どんな喧騒状態でも、あまり関係ないというか、むしろビリヤード場の一体感とか盛り上がりが空気として出るくらいですから。
――そこは日本の業界が見習いたいところでもありますね。
濱 それは一般大衆的な匂いという点ですね。だから、誰でもビリヤード場に入ることができる。文化的とか習慣的なマナーの部分は別として、ビリヤードに入りにくいということがないから、どんどんお客さんが来てくれるのだと思います。そういう点では、日本のビリヤード場にももっと笑い声があっていいと思いますし、そんな盛り上がった雰囲気であれば、新しい人が「入ってみよう」となるでしょう。その点、中国はおおらかでした(笑)。

 

そして日本へ、広島へ

――そして中国のお店2軒が軌道に乗ったところで日本に戻られました。その理由は?
濱 中国にいる時に結婚して娘が生まれました。そこで日本人として日本の教育を受けさせたい、というのが一番ですね。あと中国には人身売買といったことがあるので、やはり安全面も少し考えました。
――地元の大阪でなく、広島だったのはなぜでしょう?
濱 実は私の母親が広島近郊の出身で、今は父も退職して2人で母の地元に住んでいます。そこで、年齢的なことを考えても近くにいた方がよいかな? と。これだけで決めた訳ではありませんが。
――そして新天地で、再びお店を繁盛させる。誰もが出来ることではありません。
濱 いや、これは私の力ではありません。本当に大勢の方に力を貸していただいて、アドバイスをいただいて出来ていることです。この感謝の気持ちを、パイを広げることで恩返ししていければ、と考えています。
――今後はどのような展開を?
濱 まずは先ほど申し上げたように『入り口を作る』ことが仕事だと思っています。そのために中国で教わったコーチのノウハウを生かした活動をしていきたいと思います。新聞にレッスンの広告を出したりもしていますし、7月からは『キッズビリヤード教室』も開催します。これは営業時間外に。
――従業員は雇わないのですか?
濱 いずれお願いしたいですが、中国の時もそうしたように、まずは自分が現場で肌で感じたいので。お客様の不満や要望を、自分自身で知って店作りをしないと気が済まないんですよね(笑)。
――今日は貴重なお話の数々、本当にありがとうございました。ますますのご活躍をお祈りいたします。
濱 ありがとうございました。パイを広げる。コーチ。そしてビリヤード場の経営。この3つを柱にがんばりますので、皆さんどうぞよろしくお願いいたします。

 

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濱崎俊秀氏 通称:Hammer(ハマー)
大阪生まれ。プロミュージシャンから上場企業のサラリーマンへ転身という異色の経歴を経てビリヤード修行を目的に台湾へ。その後、中国の深センでHammer Billiard Clubを経営し、2店舗を軌道に乗せる。現地で法人化していたため、株式を分ける形でほぼ譲渡して帰国。今年の4月に広島市にカフェバーのテイストを織り込んだビリヤード場をオープンした。海外で学んだコーチングを生かしてレッスンも行っている。文中に登場する王泓翔だけでなく、張榮麟や周婕妤、呉珈慶をはじめ台湾や中国のトップスター選手との親交も深い。

 

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“ビリヤード&カフェバーHammer広島胡町電停前店”

 広島県広島市中区胡町4-25 FFビル7F
 082-258-3522

 http://hammerbilliard.com/

 https://www.facebook.com/hammerbilliard

 Hammerの中国&香港&台湾撞球生活

 

 

 

 

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